丸山重威 (関東学院大学教授)チラシは宣伝? それとも本音?自民党の政策チラシと「政党の品格」09/08/27

(NPJより転載)

   ◎チラシは宣伝? それとも本音?

       自民党の政策チラシと「政党の品格」

 

 衆議院総選挙が日本の政治の最大の論争の場であり、政治をどちらの方向に舵を切っていくかを決める上で決定的な意味を持っていることはいうまでもないだろう。そんな場だとすれば、言葉が走りすぎたり、思考が短絡したり、あるいは巧妙なメディア操作が行われたりすることも、多少は大目に見なければいけないのかもしれない。

 しかし、自民党の一連の政策ビラを見て、その「品の無さ」に驚いたのは私だけなのだろうか? 率直に言って私は自民党を支持するものではないが、かといって「政権交代」というキャッチフレーズに乗って、民主党支持を訴えるわけではない。むしろそうした次元の政争より、これからの日本がどうあるべきか、アジアの中でどう生き、活力を失った国民にどのような希望を与え、社会を立て直していくことができるか、その道筋をどう提示していくか、に関心がある。民主党は危なっかしいし、寄り合い所帯は、あまり勝ちすぎると危険だ、と思っている。

 しかし、自民党の多くのビラの中に見出される民主党攻撃は、とても政権政党の政策ビラとは思われない、不正確で、ただ扇情的なものになっているのではないだろうか。

 

 民主党の鹿児島での集会会場に掲げられた党旗が、実は日の丸を切って作られたものだったとのことで、日本記者クラブの討論会で麻生首相に突かれた鳩山代表があっさり謝って終わったが、自民党はこれを鬼の首を取ったかのように宣伝材料に使って宣伝しているのがその一例だ。

 自民党が「このパンフレットは政党の自由な政治活動であって、選挙期間中でも自由に配布できます」とうたった「政策ミニパンフ」は、「右派的色彩」が極めて濃い民主党批判が揃っており、ネットでも自由に見ることができる。( http://www.jimin.jp/index.html )

 「民主党に日本経済は、任せられない」「民主党の甘い政策の罠」「民主党には農政を任せられない!!」「みなさん、知っていますか。—十人十色の民主党—」「民主党さん本当に大丈夫?」までは、まだいい。

 しかし、「民主党=日教組に日本は任せられない 『日の丸』を切り刻んで党旗を作る民主党!!」「知ってドッキリ民主党・民主党には秘密の計画がある!!」「知ってビックリ民主党・労働組合が日本を侵略する日」となると、一体どこでどうして、なぜこんな言葉がでてくるのか? とその「真意」を疑ってみたくなる。

 

 「タイトルだから、中を見てくれればいい」というのかもしれないから、読んでみる。

まず『民主党=日教組』では、前述の鹿児島の話に始まり、「なぜ、民主党は党大会で国旗を掲揚せず国歌を斉唱しないのでしょうか。それは民主党の支持団体の日教組が『日の丸』『君が代』に反対しているからです」と続き、日教組について、「本来誇るべき『日の丸』『君が代』を否定することで、子どもたちの愛国心を否定し、国や社会への帰属意識を失わせようとしている」、「過激な性教育を、幼い子どもうちから行っています」「過激な性教育は、日教組の行っている子どもの人格破壊が、もっともはっきりと表れている分野なのです」と非難、「もし民主党が政権を獲得すれば、日教組の要求がすべて受け入れられ、異常な教育が制度化されて、全国の学校で子どもたちに教えられることになり日本の教育は崩壊します」と訴える。

 「秘密の計画」では、3つの「章」で、民主党と日教組を批判する。第1章は「民主党と労働組合の革命計画」、第2章は「日教組 教育偏向計画」、第3章が「日本人尊厳喪失進行中」。「学校が子どもたちの教育の場でなく、授業をボイコットしてストライキを起こすような政治闘争の場に逆戻りしてしまいます」「民主党の言う「取り組み」を実現すると、日本の歴史や伝統・文化、調和の取れた地域社会や家族の絆は次々と破綻し、殺伐とした社会を誕生させることになります」というのは、自民党政治への批判そのもののようなのだが…。

 「日本を侵略する日」では、この批判は日教組だけではなく、「民主党が政権を握れば、革命や闘争などという言葉をいまだに使うような労働組合の思うがままの政策で上場企業は、経営に混乱をきたし、製造業だけでなく大半の企業が労働力のコストアップに悲鳴を上げます」、「民主党は国、地方の公務員の言い成りに…。官民格差はますます広がります」と労働組合一般にまで攻撃を広げている。

 

 自民党の中に、こうした考え方の人たちがいることは事実だから、その主張がストレートに出たことに過ぎないのかもしれないし、自民党員のかなりの部分が持っている「本音」かもしれない。

 「自主憲法制定」を掲げた自民党が長い間政権を取ってきたのは、首相になった総裁が、小泉−安倍政権の前までは、常に「この政権では憲法改正を政治課題にしない」と言い切って、それなりの「現実路線」を取ってきたからだった。それは、「政治戦略」だったかもしれないが、その柔軟さが国民の信頼を得てきていた。

 同様に世の中の多くの企業家たちもそうだった。かつては「対決」した労組とも、「労働組合はパートナーだ」と訴えて、無理のない経営を進め、その中から企業の繁栄と日本の繁栄を図ってきた。イデオロギーを超えたように見えるその人間的あいまいさが、ここでも信頼を集めてきた。ここ数年、「品格」が語られたのも、理屈ではなく人々を納得させる包容力、といったらいいだろうか、そんな「日本的カラー」が大切だと考えられたからではなかったのだろうか。

 

 そんな「日本的カラー」の変化が目立ってきたのは、やはり小泉政権以後のことではないだろうか。自民党にも、企業にも、そして社会が失われ、批判も高まっている。

 「品格が失われたビラに自民党の凋落を見る」と言ったら、言い過ぎなのだろうか。

                               2009/8/26